◆連載エッセイ◆ 薬物捜査指揮官への道(第6回)

最高の研修(後編)

◆連載エッセイ◆ 薬物捜査指揮官への道(第6回)

    私が初めて警察庁を訪れたのは、平成14年、警部補時代である。もっとも、それは郵政事業庁(当時)へ派遣される際、警察庁への派遣も兼ねていたため、併任に伴う辞令を受け取りに行っただけのことで、実際は、派遣された初日と警視庁へ帰任した最終日の計2回だけ立ち寄ったに過ぎない。
 正式に警察庁で勤務することとなったのは、平成21年4月からである。警部だった私は、警察庁係長として、薬物銃器対策課(現在の組織犯罪対策第二課)に3年間出向した。
 当時は、前年に「居酒屋タクシー」という言葉がマスコミで騒がれるなど、特に国会開会中は警察庁だけでなく、どこの省庁も、帰宅が午前様になるのが当たり前という時代で、霞が関を通る桜田通り上には、深夜になると、帰宅する国家公務員を待ち受けるタクシーが長い列を作って駐停車するというのが、いつもの風景となっていた。なお、それから7年後となる2回目の出向時には、定時退庁が当たり前となっていて、逆に午前様で帰ることが珍しくなっており、随分と時代の移り変わりを感じたものである。

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    薬物銃器対策課の体制は、警察庁採用のキャリア課長の下に30人くらいの課員が配置され、私が任命された薬物捜査係は、全員がいわゆる「ジカタ *1 」と呼ばれる都道府県警察からの出向者で、2名の課長補佐(警視)とその下で働く6名の係長(警部)が、それぞれ東日本地域と西日本地域とに担当割りをされていた。
 私は東日本地域を担当していたが、事件関係以外でも講習や訓練等で、とにかく全国各地を飛び回った。私はこれまで、47都道府県すべての警察本部に赴いたことがあるが、やはり、警察庁出向中の出張がその多くを占めている。日本中の警察本部庁舎を見て回り、いろいろな地方の捜査員と会話をし、時には酒を酌み交わしつつ、お互いの警察の事件捜査を知ることは、本当に楽しかったし勉強になった。また、通信傍受は、法律が制定されてからまだ10年ほどしか経っていない最新の捜査手法であったが、当時の対象犯罪は、組織的殺人、集団密航、組織的な薬物関連事犯、銃器関連事犯の4類型に限定されており、実施する事件はほぼ組織的な薬物関連事犯が独占していたため、指導・調整役として、多くの警察の通信傍受捜査に関わらせてもらった経験は、その後の捜査指揮に大いに役に立った。
 とにかく、毎日がやりがいの連続であったが、その業務の中でも、特に思い出に残っている全国専科講習を立ち上げた時の話をしよう。

*1
 「ジカタ」とは、都道府県警察からの出向者を意味する。これは、地方警察官の「地方」が「ジカタ」とも読めることに由来している。

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