◆連載エッセイ◆ 薬物捜査指揮官への道(第2回)

座右の銘

◆連載エッセイ◆ 薬物捜査指揮官への道(第2回)

    今回は、私が初めて本部事件において捜査指揮を執った話をしよう。
 今にして思えば、「捜査指揮」という言葉は、当時は意識していなかったと思う。警部補という階級は、捜査実施の中核でありながら、捜査指揮も担う立場である。そういう大事なポジションで、本部事件主管課にいられたことを本当に幸せに思う。
 私の捜査指揮官としての第一歩は、まさにこの事件から始まったのだ。

    平成15年、それは私が警部補として組織犯罪対策第五課に着任したばかりで、ベテランのY主任(警部補)を班長とする4人班のサブキャップを務めていた頃、渋谷センター街でティッシュを配るように薬物を密売していたイラン人と、そこを縄張りとしてイラン人からショバ代名目で現金をカスリ取っていた*1暴力団に対する薬物密売捜査に従事していた。
 そこに、ベルギーから輸入された絵画の額縁に隠匿されたMDMA2万錠を発見したという東京税関からの通報を受けて、急遽、各班から選抜された寄せ集めの混成チームが結成されることになり、私は渋谷共捜から剥がされて、その一員としてコントロールド・デリバリー(CD捜査*2)に従事することとなったのである。


*1
 他人の違法行為による収益から上前をはねること。
*2
 Controlled Deliveryの略で、取締機関が規制薬物等の禁制品を発見しても、その場で直ちに検挙することなく、十分な監視の下にその運搬を継続させ、真の荷受人に到達させてその者らを検挙する捜査手法のこと。

    この事件は、それから100回以上経験することになるCD捜査のデビュー戦であった。
 貨物の名宛先アパートは、東京から首都高速湾岸線を抜け、東関東自動車道を降りた千葉県香取郡大栄町(現成田市)に所在し、捜査で通い慣れた成田空港よりまだ先の遠距離に位置していた。現場周辺は家がぽつりぽつりとしかない山林地帯にあり、季節は本格的に夏に突入しようとしていた時期、秘匿配置のため近くの森林に潜む我々捜査員はヤブ蚊に悩まされた。
 CD捜査は半月もの期間継続するも、結果的にはアパートに立ち寄る者がいなかったため、CD捜査を打ち切り、一般捜査に切り替えることとなった。ちなみに、薬物捜査では、CD捜査・おとり捜査・通信傍受を特殊捜査と呼び、それ以外を一般捜査と呼んでいる。
 捜査指揮官であるT管理官(本連載第1回〔前号64頁以下〕にも登場した、のちの私の師匠)は、現場から少し離れた公園に捜査員を集合させると、今後の捜査方針について簡潔に説明した。
 その内容は、まさに青天の霹靂へきれきだった。なんと、私がデスク主任だというのだ。本部に異動してまだ3か月目のことであった。

    帳場は、東京都江戸川区の南西部を管轄する小松川署に設置された。一級河川に挟まれた海抜0メートル地帯に位置するこの警察署には、水難被害に備えて、最上階に警備指揮所となる部屋が設けられている。
 我々はそこに陣取ると、私は座り慣れていないデスク主任の席に座った。全員が各班から寄せ集められたバラバラのチームだったため、まずは自己紹介だ。
 こうして、私にとって初めての本部事件における捜査指揮がスタートした。

平成15年、小松川共同捜査本部にて。私物パソコンに、咥えタバコの時代だった。
平成15年、小松川共同捜査本部にて。
私物パソコンに、咥えタバコの時代だった。

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