◆連載エッセイ◆ 薬物捜査指揮官への道(第4回)
参謀
メキシコ麻薬カルテルが、覚醒剤のマーケティングターゲットとして日本を狙うようになったのは、平成24年頃からである。平成25年8月7日付の産経新聞には「メキシコ産覚醒剤、国内シェア広がる」という大きな見出しとともに、「覚醒剤ルートは、北朝鮮はゼロ、代わってメキシコマフィアが台頭」とある。
その誕生は、1980年代に猛威を振るった南米コロンビアのコカインカルテルに由来する。当時、コカインは、コロンビアの2大組織であるメデジン・カルテルとカリ・カルテルに支配されており、メキシコは、巨大マーケットである米国に、南米で密造されたコカインを密輸するための単なる中継地点としての役割を果たしているに過ぎなかった。ところが、1990年代に米国の強力な援助を受けたコロンビア政府が取締りを強化。メデジン・カルテルの創設者で「コカインの帝王」パブロ・エミリオ・エスコバル・ガビリアの殺害を契機として、コロンビア麻薬カルテルは弱体化し壊滅に至った。これに伴い、メキシコ組織が主要なコカイン密輸ルートの支配権を獲得し、急速に勢力を拡大。元警察官で「ボスの中のボス」ミゲル・アンヘル・フェリクス・ガジャルドが、グアダラハラ・カルテルを創設し、現在のメキシコ麻薬カルテルの基盤を作ったとされる。その後、メキシコ麻薬カルテルは、壮絶な対立抗争を経て、分裂と吸収を繰り返しながら勢力を拡大していく。
現在、日本において、最も警戒しなければならないのは次の2組織である。
(シナロア・カルテル〔通称:CDS〕)
グスマンが組織を掌握し、同人が米経済誌「フォーブス」による世界富豪ランキングに載るなど、メキシコ犯罪組織における最大勢力となったが、平成28年、グスマンがメキシコで逮捕され、米国の刑務所に仮釈放なしの終身刑で収監されて以降は、分裂し内部抗争を繰り広げている。
(ハリスコ新世代カルテル〔通称:CJNG〕)
創設当初から、元陸軍特殊部隊員で構成され凶暴性で名高い麻薬カルテル「Los Zetas(ロス・セタス)」に対し、「マタ・セタス(セタス殺し)」と名乗り宣戦布告し、そのメンバーを大量に虐殺。令和2年には、国家治安庁長官の警護車列を襲撃したほか、政治家候補者や司法関係者、治安当局員など数千人とも数万人とも言われる殺害に関与するなど、極端な暴力性を特徴とする。また、ソーシャルメディアを利用した積極的な宣伝活動(プロパガンダ)を展開しており、敵対組織との戦闘シーンや拷問、処刑、殺害した遺体の損壊や食人行為などの暴力映像を配信している。こうした宣伝活動により、自分たちの力を誇示し、敵対組織や国民を威嚇して、恐怖による支配を強化しようとしており、このカルテルの存在が、メキシコの治安悪化の大きな要因とも言われる。
現在、シナロア・カルテルに次ぐ勢力である。
この2つの組織は、➀軍隊に匹敵するほどの強力な武装兵力を保持し、➁小国の国家予算と比べて遜色ないほどの潤沢な資金を所有し、➂極めて残虐、という3つの特性を併せ持つ。
また、幹部及び構成員に多数の女性を起用しており、男性メンバーと同等の役割を与えている。平成25年に発生した元観光長官殺害事件の犯人の一人であるCJNGの女シカリオ(殺し屋)「ラ・ロカ」ことアナ・カレン・ブラボ・グティエレスは、特に有名である。
このような強大な麻薬犯罪組織が、薬物市場のターゲットとして日本を狙っている。いや、覚醒剤については、すでに密輸ルートを構築しているのである。
CJNGの犯行が日本で初めて明らかとなったのは、平成28年に神奈川県警が捜査した「メキシコ来海上貨物利用覚醒剤230キロ密輸事件(通称:スクラップ事件)」である。この事件では、神奈川県警のあるベテラン捜査員が、司法取引を行う権限がなく、もちろん拷問も許されない厳格な日本警察の取調べにおいて、逮捕した被疑者の一人に自らCJNGメンバーであることを自供させた。さらに、このベテラン捜査員は、CJNGの組織内部についてある程度のことを知り得る立場にあったこの被疑者から、日本へ覚醒剤を密輸するにあたって、日本を担当するリーダーが存在し、その配下にグループが組織的に確立されているとの供述も引き出したのである。
当時、警察庁薬物銃器対策課に出向し、密輸担当課長補佐をしていた私としても、この被疑者の供述内容について、その重大性に驚愕した。また、米国の反応はさらに電撃的で、対メキシコ麻薬カルテル専門家と連邦検察官が緊急来日したほどであった。
その後、同被疑者の供述内容については、米国で司法取引に応じて刑務所に服役していた別のメンバーによる供述から裏付けがなされ、すべて事実であることが確認された。