テロと心理学(11)

ブランチ・ダヴィディアンによる 立てこもり事件における交渉失敗の分析(その1)

テロと心理学(11)

ブランチ・ダヴィディアンによる 立てこもり事件における交渉失敗の分析(その1)

法政大学教授  越智 啓太

テロ集団における立てこもり交渉
 テロリズムは政治的、宗教的な目的などのためにさまざまな反社会行為を行うことであるが、その中には、籠城や人質立てこもりなども含まれる。我が国に限っても、連合赤軍による浅間山荘事件や日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件などが発生しているし、国際的にみれば、チェチェン問題に関連したモスクワ劇場占拠事件、ヴヌーコヴォ航空のツポレフ154型機ハイジャック事件、イスラム過激派によるダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件など多数の立てこもり事件がある。
 このようなケースにおいては、テロ集団と交渉し、その投降を決断させるのが警察をはじめとした法執行機関の交渉担当者の重要な役割となる。ところが、立てこもり事案自体、そう多く発生するわけではないので、実際問題として、この種の交渉に経験豊富な捜査員というのは、少なくとも我が国においては、あまり多くない。そこで、立てこもり犯やテロリストとの交渉担当者は、実際に発生した事例について、その記録を精査し、詳細に事後的な分析をしていくというトレーニングをする必要がある。
 その中でもとくに交渉失敗事例の分析は重要である。失敗事案は成功事案よりもはるかに多くの情報を我々に与えてくれるからである。そこで今回と次回では、新興宗教団体ブランチ・ダヴィディアンによる立てこもり事件(ウェーコ事件)とその交渉過程を参考にして、その交渉プロセスとその失敗の原因について分析してみたいと思う。

ウェーコ事件とはなにか
 ウェーコ事件は、アメリカ・テキサス州のウェーコにおいて1993年に発生した立てこもり事件で、新興宗教団体のブランチ・ダヴィディアンの本部建物に対して、ATF(アルコール・タバコ・武器取締局)が強制捜査を行おうとしたところ、銃撃戦となり、その後、51日間にわたる籠城の末、FBIが強行突入を行ったものである。最初のATFの突入に際しては、4人のATF捜査員が銃撃戦で死亡し、FBIとの交渉はいたずらに長期化し、混乱し、最後には、彼らは施設に自ら火を放ち集団自殺してしまった。信者の死者は老若男女82名にも達した。この事件は、人質立てこもり交渉におけるもっとも有名な失敗事案である。
 ウェーコ事件に関しては、ここ数年、多くの優れたノンフィクションや再現ドラマが制作されている(例えば、Jeff Guinn(2023)によるWaco: David Koresh, the Branch Davidians, and a Legacy of RageやNetflixのドキュメンタリーWaco: American Apocalypse(2023)、パラマウント+の再現ドラマWaco(2018)、Waco:Aftermath(2023)などである)。本論もこれらドキュメンタリーを参考にしているが、並行して参照していただけるとより詳細に理解ができると思う。

ブランチ・ダヴィディアンとはなにか
 まず、そもそも、このブランチ・ダヴィディアンとはどのような宗教団体なのであろうか。この教団は、キリスト教原理主義に基づく新興宗教で、創設者のベン・ローデンが1930年代に設立したものである。はじめはそれほど大きくない共同生活体であった。ベン・ローデンは、1978年に亡くなり、妻のロイスが主任預言者としてその地位を引き継いだ。その後、1981年、ヴァーノン・ウェイン・ハウエルという名前の22歳の青年が入信する。彼は、中学校を中退した目立たない青年で、年上の少年からの性的虐待の被害歴もあった。彼は、20歳を過ぎたころ精神的に不安定になり、幻聴や幻覚を見るようになったが、それを神の啓示と思い込んでいた。これが一つの入信の動機であった。彼は二代目教祖のロイス・ローデンと50歳の年の差があったにもかかわらず、親密になり、次第に教団に対する支配力を増大させていった。ロイスの死後、息子のジョージ・ローデンが教団を継ごうとしたが、ハウエルは教徒の一部とともに武装してジョージと対立した。1987年後半、ジョージ・ローデンとの間での後継者争いは、銃撃戦に発展し、ジョージは頭と胸を撃たれ死亡した。ハウエルと7人の信者が殺人未遂で裁判にかけられたが、陪審員裁判は陪審の一致が得られず、そのままうやむやになった。1990年までに、ブランチ・ダヴィディアンの支配権を握ったハウエルは、合法的に名前をデビッド・コレシュに変更した。コレシュという名前は、バビロンを征服し、ユダヤ人がイスラエルに戻ることを許した古代ペルシャの王キュロスのヘブライ語訳である。
 彼らはウェーコの郊外にマウント・カルメル・センター(イスラエルにある聖書の山、カルメル山に由来する)という巨大な施設を構築してそこで集団生活をすることにした。このころには教団は大きくなっており、多くの新興宗教の教祖と同じく、彼も信者からの絶大な信頼を背景に、次第に自分の好き勝手な行動をとるようになっていった。例えば、彼は14歳の信者の女性を妻とし、その後、信者の未婚の女性をすべて自分の妻とすると宣言した。最終的には、既婚の女性も離婚の上で自分の妻とすることとした。もちろん、この方針に逆らったものもいたが、それは夫よりも妻自身であった。そのような人々は教団から去って行ったため、教団はコレシュを熱烈に信仰する人物だけで固められていった。彼は、夜の礼拝の後、好きな女性を自分の部屋に呼んで性的な関係をもったが、女性信者はそれを「神を感じる瞬間」であるとして喜んで受け入れた。
 コレシュは、黙示録で語られているような終末戦争とキリストの再臨が近いうちに起きると預言していた。終末戦争のはじまりには、バビロニアの軍隊が戦車で教団に攻撃を加えにやってくる。コレシュは、バビロニアの軍隊の攻撃に対しては教徒たちは一丸となって、神のために武力で立ち向かう必要があると説いた。そして、この戦いで殉職したとしても彼らは神の兵士として必ず蘇ると付け加えることも忘れなかった。
 教団はこの戦いに備えて、合法、非合法な銃器、爆発物、手榴弾、弾薬、そして食料等を買い集めていた。彼らが保有していた弾薬は、最終的には、160万発にのぼった。また、彼らは、あらかじめ、銃撃戦に備えて、防弾スペースや待避壕を設置し、建物には銃眼をつくり、建物の高い位置に固定式の大口径銃を設置したり、セミオートマティックの銃をフルオートに改造したりした。さらには、信者やその家族に銃器の扱い方を教え、訓練も行った。彼らの戦いの準備は万端であった。

ウェーコ事件第1フェイズ:ATFによる強制捜索とその失敗
 この武装する宗教組織の存在は当初は政府組織の知るところではなかったが、郵便局の集配業務の中で、破損した郵便物から銃の部品が発見されたことがきっかけで、彼らが不法に銃を収集していることが判明した。ATFはおとり捜査官のロバート・ロドリゲスを教団内に送り込み、教団が、40~50丁のマシンガンと大量の火薬を保有していることを探り出した。これは連邦法に違反する行為であったことから、ATFは、捜索令状を取り、1993年2月28日強制捜査に着手することにした。目的は違法武器の押収とコレシュの逮捕であった。相手は武装した集団なので、この強制捜査は奇襲作戦として行われることになり、作戦実行手順が決定された。
 ところが、情報管理の不徹底から突入の直前に計画は各方面に漏洩してしまう。とくに問題だったのは、地元のKWTXニュース(テキサス州のローカルテレビ局)が事前に突入の情報をつかみ、事前に現場に取材のためのチームを派遣してしまったことである。しかも、彼らは教団に向かう途中で道に迷い、通りがかりの郵便局員に教団への道を尋ねるとともに、「今日、強制捜査が行われる」という情報を漏らしてしまった。運の悪いことにこの郵便局員は教団の一員であり、情報はすぐにコレシュの耳に入ることになる。
 ATFの突入計画が事前にばれたことは、潜入捜査官によってATFの指揮官に伝えられた。これに対して、ATFの指揮官は、突入を延期するのでなく、逆に突入を早めることにした。ATF捜査官が、施設の入り口に行き、対応した信者に強制捜査だと告げると、教団側は発砲を始め、銃撃戦となった。教団側が保持していた銃は、M60機関銃、AK47自動小銃、バレットM82狙撃銃であり、いずれも強力な武器であった。それに加え、彼らは手榴弾も持っており使用した。
 ATFは、教団の攻撃に対して応戦した。一部の捜査官は屋根からの突入を試みた。しかし、窓から二階の居室に突入した捜査官や屋根で突入を試みた捜査官はその場で被弾した。教団側はそもそも、いつかバビロニアの軍隊が攻めてくると考えていたので、準備は万端であり、あらかじめ避難用の防弾スペースも用意してあった。信者はその中に立てこもって銃撃戦を戦った。この銃撃戦で、ATF側は4人の捜査官が死亡し、12人が負傷した。教団側は9人が死亡した。コレシュも手と脇腹を撃たれて負傷した。
 二階から突入しようとして被弾した捜査官が屋根下に落下して意識を失っていたが、銃撃戦のさなかでは到底救出することができなかった。この捜査員の命を救うために、ATF指揮官はこの時点で撤退を決定した。共同して作戦を遂行していた現地警察のリンチ警部補が、電話を使ってコレシュと連絡を取り、銃撃戦を中止させることで休戦合意した。
 休戦により、銃撃戦が止まったので、ATFはけが人を救出するとともに遺体を搬送することができた。しかし、それと引き換えにATFは現場からの撤収を余儀なくされた。


解説: ATF(Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives:アルコール・タバコ・武器及び爆発物取締局)
 ATFは、FBIやDEA(連邦麻薬取締局)とならぶアメリカの連邦法執行機関である。アルコール、タバコは専売品であり、国家が独占的に製造及び販売をする物品として指定されていた。その販売収入や連邦税収入は、重要な国家歳入源であったことから、その無許可製造や販売を取り締まる法執行機関が必要となった。そこで1920年に財務省内に酒類取締局が作られることになった。その後、連邦銃規制法の施行に伴い銃器の、組織犯罪規制法の施行に伴い爆発物の取締りを業務に加えることになった。1968年よりATFという名称が使われるようになり、2003年の省庁再編の際に、司法省に移管された。爆発物の鑑識活動や捜査に多くの実績があり、爆破テロ事件においては捜査の中心となることも少なくない。「アンタッチャブル」で有名なエリオット・ネス捜査官が所属していたのは、ATFのもとになった酒類取締局である。


ウェーコ事件第1フェイズにおける問題点
このフェイズにおけるATFの行動の最大のミスは、当初、奇襲作戦として行うべきだった作戦が教団側にばれ、「奇襲」でなくなったにもかかわらず、作戦を強行したことにある。しかもATF側は潜入捜査官によって、情報が漏れていることを把握していたにもかかわらず、作戦を強行してしまったのである。もともと、教団側は大量の武器弾薬を持っており、情報が漏れた段階から、彼らは戦闘の準備をして待ち伏せしていた。つまり、ATFは、敵が待ち伏せしているところにわざわざ突入したような形になってしまったのである。
 むろん、このような状況下における作戦の強行が一概に間違いであるとはいえない。例えば、人質が捉えられていてその生死がかかっている場合や、早急に対処しなければ、大きなテロが発生する場合には強行という判断が必要なこともあるだろう。しかし、本件の場合は、そのようなケースではなかった。確かに教団側は大量の武器弾薬を蓄積していたが、それは来るべき終末戦争に対する準備であり、当面は、自分たちからどこかを攻撃する可能性は、ほとんどなかった。作戦を延期したところで問題はなかったのだ。
 また、もうひとつあげておく必要があるのは、教祖であるコレシュのパーソナリティに対する読みの甘さである。彼は、新興宗教の教祖であるということから、例えば、犯罪組織やテロ集団などと異なり、あまり暴力的な行為にはでないであろうとATFは甘く見ていたと思われる。しかし、実際に彼のプロフィールをみてみると、彼は教祖の座をライバルを殺して奪い取っているということも含めて極めて短気で暴力的なパーソナリティを持っていることは明らかであった。

リスキーシフトとクリスマス効果、そしてコンコルドの誤謬
 では、ATFはなぜこのような拙速な行動をしてしまったのであろうか。そこには三つの重要な心理学的なわなが存在したように思われる。
 第1のわなは、リスキーシフトと呼ばれるものである。これは、多くの人が関与する意思決定場面において、しばしば、決定がより危険な方向になりやすいという現象である。とくに治安維持機関や軍隊においてこのようなバイアスが生じやすい。これらの集団においては勇敢なことや危険を顧みない行動をするものが評価され、それを回避しようとするものは臆病者と判断されるような規範が存在する。作戦の意思決定に携わった主要メンバーの中には、情報が漏れ、奇襲作戦ができなくなった時点で「一度撤退して、作戦を立て直そう」と思ったものもいたと思われる。しかし、実際の作戦会議の場においては、そのような臆病な発言は抑制されてしまった可能性がある。とくに、ウェーコ事件では、ATFという連邦警察と地元警察が共同作戦を行っていた。このような状況下では、お互いの組織が自らの勇敢さを誇示する傾向があり(俺たちのほうが勇敢だということを示したくなる)、消極的な意思決定が避けられた可能性がある。
 第2のわなは、クリスマス効果と呼ばれるものである。第二次世界大戦時には、クリスマス直前には無茶な作戦が実施されやすかったことが知られている。これは、「うまくいけば、クリスマスまでには終戦になり、家に帰ることができる」という希望的な観測から、危険性を過小評価してしまう現象のことである。例えば、第二次世界大戦時の連合国軍最大の失敗作戦であるマーケットガーデン作戦は、クリスマスのわなが失敗の原因の一つとして指摘されている。ウェーコ事件における強制捜査は、2月に行われたので、もちろん、クリスマスは直接は関係してこない。しかし、多くの捜査官が「さっさとこんな事件は片付けて家に帰りたい」と思っていたのは事実であろう。ともかく、この事件の現場は、そばに何もない田舎であったため、こんなところでの長期戦を望むものは多くはなかっただろう。そのため、コレシュの暴力性の過小評価も相まって、「一度撤退」という意思決定が困難になってしまった可能性がある。
 第3のわなは、コンコルドの誤謬といわれるものである。ここでいうコンコルドとは、イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機コンコルドのことである。コンコルドの開発に当たっては途中で、「たとえコンコルドが完成したとしても採算がとれる見込みは少なく、開発プロジェクトを継続しても赤字が増大するだけだ」ということが判明した。本来であれば、開発プロジェクトを中止することが、最善の選択肢だったにもかかわらず、「すでに多くの資源を投下してしまっているのだから、中止にするわけにはいかない」ということで、プロジェクトは継続され、結果的に赤字はさらに増大し莫大なものになってしまった。つまり、未来に向けての意思決定の際に、過去の努力の総量を考慮に入れてしまうと、合理的な意思決定を阻害する可能性がある。
 ウェーコ事件においては、非常に多くの連邦及び地元の警察官が動員され、長期間にわたる準備の末、作戦が実施された。そのため、指揮官は情報漏れの事実を知り奇襲ができなくなった状況において、「早朝からこれだけ多くの人をかり出して、十分な準備をしてきたので、いまさら、延期するわけにはいかない」と考えてしまい、作戦を強行してしまった可能性がある。

ウェーコ事件第1フェイズから得られる教訓
 ウェーコ事件第1フェイズにおけるATFの失敗は武装している集団への強制捜査において、当初は奇襲作戦を行うことが決定され、それにしたがって準備が行われている中、強制捜査の情報が漏れ、奇襲ができなくなったにもかかわらず、強制捜査を強行してしまったところに問題があった。この問題の背景には、「もはや、引き返せない、面倒だから早くやってしまおう」という拙速で誤った意思決定があり、リスキーシフト、クリスマス効果、コンコルドの誤謬という三種類の心理学的なバイアスがその原因であった。この種の作戦においては、さまざまな局面で「一時撤退」が最良の方策であるケースが生じる。ただし、このようなケースでは、前記のようなメカニズムで、消極的な意思決定をするのが困難になることがある。このような状況下では、たとえ臆病だと思われようが、指揮官は、あえて撤退の決定をしなくてはならないだろう。そして、それこそが指揮官の重要な役割なのである。