インテリジェンスこぼれ話(第38回)
セキュリティ・クリアランスと背景調査:日米対比
最近、スパイ防止法制の整備の気運が高まっています。例えば、2025年10月に発足した高市自民党内閣の「日本維新の会」との連立政権合意書には、「インテリジェンス・スパイ防止関連法制の策定」が記載されています。
ところで、スパイ防止法制というと、スパイ行為に対する罰則強化を連想する人が多いのですが、スパイ防止のために必要な制度や法律は、多面的かつ重層的なもので、罰則強化に限られません。
そこで、米国における取組を、純粋防御、積極防御、攻撃的防御に分けて列挙してみます。第1に純粋防御面では、➀秘密指定制度、➁防諜・保全担当部署の整備、➂人的保全(セキュリティ・クリアランスなど)、➃物的保全又は施設保全、➄情報保全(情報システム保全など)ほかがあります。第2 に積極防御面では、脅威(スパイ行為)を探知し解明した上で、実害が生じないように関係者に秘密裡に警告するなど必要な防護対策をとる、あるいは、検挙・摘発して脅威を排除することです。第3に攻撃的防御面では、脅威国の諜報組織自体に浸透して、その中枢情報を入手した上で対策を行うことです。これらの対策を総合的に実施する必要があるのです。
我が国では、セキュリティ・クリアランスなど人的保全面では、2013年に特定秘密保護法が制定されて国際標準に達したという誤解が一部にありますが、実は国際標準にはほど遠いのが現状です。ここでは、米国のセキュリティ・クリアランスと背景調査の骨子を紹介して、我が国との違いを示していきたいと思います。
セキュリティ・クリアランスの流れ
最初に、セキュリティ・クリアランスの大きな流れです。米国の場合は、本人がスポンサー省庁を経て申請します。申請に基づき、背景調査が行われて、審査・裁定されるという構造になっています。これに対して日本の場合は、本人自ら申請するのではなく、特定秘密にアクセスする必要のある職務に就いた人に対して行政側が告知をし、本人の同意を得て、調査が行われ、その上で評価が行われるという構造になっています。
日本の特定秘密保護法に関する「運用基準」を素直に読むと、基本的には、本人が28頁ほどの質問票に答えて、上司が調査表(実質たった2頁)で問題なしと報告すると、クリアランスがもらえるという構造になっています。ただし、疑念が生じた場合には、上司、同僚等への質問、人事管理情報等の確認や本人の面接が行われます。それでも疑念が解消されない場合には、公務所や民間への照会が行われますが、その調査方法も調査事項も限定されています。
そもそも米国の(そして世界の)セキュリティ・クリアランス制度は、上司による評価では対象者の全体像を把握することができず不十分であることを前提に構築されているのですが、我が国では、上司による評価のみを基にセキュリティ・クリアランスが出せる制度であり、基本的な前提思想に問題があると言わざるを得ません。
それでは、これから審査や背景調査の実態について見ていきます。
適格性審査指針
適格性の審査指針ですが、米国の場合は、現在有効な指針は2017年の保全行政責任者指令第4号「国家安全保障審査指針」です。政府の保全行政責任者は国家諜報長官(DNI)です。
審査指針のポイントは、まず「全人格的評価」です。さて、全人格的評価「the whole-person concept」とは何でしょうか。それは、全人格が審査対象であり、調査対象であるということです。ですから、要するに、プライバシーはないのです。「この部分はプライバシーだから言いたくない」ということは許されず、全人格を開示することが基本です。
ある元CIA職員の回想によれば、CIA入庁時にセキュリティ・クリアランスのための面接が行われ、ポリグラフを装着した上で諸々の質問を受けましたが、その中で「貴方は奥さんに何か隠していませんか」と質問されました。実は、彼は過去に浮気をしたことがあり、それを奥さんに隠していたのです。彼は正直にその事実を述べた結果、セキュリティ・クリアランスを得て、CIAに採用されたと回想しています。私生活上の秘め事も弱点となり得るのであり、これを梃に脅迫を受ける可能性もあります。したがって、セキュリティ・クリアランスの調査では、隠し事は許されないのです。
これに対して、我が国の「運用基準」を見ると「全人格的評価」を否定していると解釈せざるを得ない記述となっています。
次に、米国の審査指針はAからMまで13項目ありますが、具体的かつ詳細です。これに対して、我が国の「運用基準」では、特定秘密を漏らすおそれがない基準として7項目が挙げられていますが、どれも概括的で抽象的な文言です。
興味深いのは、審査項目E「個人の品行」です。解説によれば、審査指針13項目の他の特定項目に該当しなくても、その人の全人格を見てクリアランスを与えるべきではないという場合であれば与えない、それが「個人の品行」の審査項目に該当するとしています。つまり「個人の品行」が、クリアランスを拒否する一般条項として使えるようになっているということです。
審査項目の冒頭Aは「米国への忠誠心」です。そもそも近代民主主義国家では、国民は国家に対する忠誠の義務を負うというのが世界の基本的理解です。秘密保全の一番の動機付けは、国家に対する忠誠心をしっかり持って自国を裏切らないことです。この点は、米国側のどのような関係文書を見ても、秘密保全では国家に対する忠誠心が重要であると明記しています。これに対して、我が国の「運用基準」では、「国家への忠誠心」という言葉はどこにも見当たりません。極めて対照的であり、我が国の特異性を顕しています。
審査項目で、特に力点が置かれているのは、Bの「外国からの影響」とFの「経済状況」の2つのようです。過去のスパイ事案を見ると、「外国からの影響」の要因が一番大きく、次に「経済状況」で金欲しさに自発的にスパイになっている者が多数います。
なお、審査項目B「外国からの影響」では、本人自身は当然として、本人に影響を与え得る人の中に「外国からの影響」を行使する人はいないかも見ています。
その上で、現実にあった過去のスパイ事案の典型的な事例を基に、具体的な懸念事由が記載されています。まず、外国籍又は外国居住の家族や友人との接点が弱点にならないかという懸念です。米国は移民の国ですから、出身国から家族などの代理人と自称する人が来て、「協力してくれないか。協力してくれないと、お宅の家族の将来は暗いよ。将来はないよ」などと脅迫されて協力するわけです。
また、出身国に対する愛着が、秘密を提供して支援したいという心情を生むことも、現実にありました。戦後の、特に中国関係の対米スパイは、これが動機となっていることが多いです。核兵器開発では、中国出身の大物研究者が2人逮捕されていますが、彼らは米国に帰化してセキュリティ・クリアランスを持っていたものの、それでも、「祖国のために協力してくれ」と頼まれて情報を提供したのです。
その他、同居人の存在や、本人あるいは親族の外国での事業や財産等が弱点にならないかという懸念事由もあります。また、国外旅行や国外居住の際に脅迫や圧力を受ける弱点を握られていないかという懸念事由もあります。ひと頃有名になった、上海のカラオケ・クラブ「かぐや姫」のような所で現地の女性と懇ろな関係になって、その証拠を握られていないかというようなことです。そういうことも含めて、詳しくチェックする構造になっています。