インテリジェンスこぼれ話(第40回)
アテネ・オリンピックにおけるシギント活動顛末記
2004年に開催されたアテネ・オリンピックでは、国家安全保障庁NSAを始め、米国インテリジェンスは、ギリシャ政府のテロ対策を支援しました。ギリシャは、1970年代から2000年代初めまで、欧州有数の極左テロの多発国で、米国のCIA職員や外交官、更には企業幹部までテロ攻撃をされており、米国が支援に乗り出したのも当然です。
ところが米国NSAは、この機会を奇貨として、ギリシャの国内通信に対する傍受システムを秘密裡に設置し、ギリシャの首相を始め、政府要人やジャーナリストを標的として通信傍受をしていたのです。
この通信傍受は、機材故障によって早期に中断しましたが、その後、2013年のスノーデン漏洩資料や2015年のNSA研究者らによる調査報道で、全容が判明しました。
本事例には、インテリジェンス機関の行動原理が現れています。すなわち、友好国であろうとも、インテリジェンスの標的とすることです。これは、インテリジェンス業界の世界標準です。米国に限られた話ではありません。インテリジェンスの世界では、自国以外は全て諜報対象であり、友好国といえども例外ではないのです。それは、友好国といえども、相互の利害が完全に一致することはあり得ないからです。
そもそも、国際政治とは国益を賭けた闘いであり、軍隊、インテリジェンス機関、外交機関が、主たる実施機関です。特に、インテリジェンス機関は、平時であっても全方位に向かって国益を賭けて活動しているのです。諸外国のインテリジェンス機関との関係においても、この冷厳な国際政治の現実を踏まえることが必要です。
それでは、NSAによるシギント活動の顛末を紹介します。
アテネ・オリンピックへの取組
1 過去の取組
NSAは、アテネ・オリンピック以前から、オリンピックにおけるテロ対策に何度も関与してきました。1984年のロサンゼルス・オリンピック、1996年のアトランタ・オリンピック、2000年のシドニー・オリンピック、そして2002年のソルトレーク冬季オリンピックです。
特に2002年のソルトレーク大会では、2001年の9・11同時多発テロ事件の直後ということもあり、テロ対策が重要な課題となりました。実際に、総合インテリジェンス・センターが設置され、インテリジェンス情報と法執行機関情報を総合して、テロなどの脅威情報が提供されました。NSAは、情報提供の面で、FBIの活動を大いに支援したといわれています。
2 アテネ・オリンピックに向けた準備
アテネ・オリンピックは2004年8月に、同パラリンピックは9月に開催されましたが、ギリシャはテロ多発国であったため、テロ対策の必要性が強く感じられていました。
ギリシャでの協力相手は、ギリシャの総合インテリジェンス機関であるEYP(国家諜報サービス)でした。NSAは、EYPに対して、オリンピックに関連したテロと重大犯罪の抑止のため、インテリジェンス支援をすることになりました。
そこで、NSAではまず、開催の2年前に当たる2002年にはシギント計画立案者4人以上が予備調査を始め、2003年夏には具体的準備を開始しました。そして、基本方針として、オリンピックの30~45日前にはアテネにNSAの分析官10人を派遣し、その10人が在アテネの米国大使館とEYP庁舎の両所で勤務することが決定されました。その上で、2003年12月には、アテネに派遣する分析官10人を選抜し、派遣員の事前準備を開始しました。また、欧州の多国間シギント協力枠組である欧州シギント首脳会議(SSEUR)諸国(UKUSA5か国と欧州9か国)からのシギント脅威情報を共有すべく、必要とされる各種の通信訓練なども行われました。
3 オリンピック期間中の取組
オリンピック期間中、NSAを含む米国諜報コミュニティは、次の情報提供を行い、あるいは次の情報提供を可能とする態勢をとりました。すなわち、
この米国諜報コミュニティの活動において、NSAは大きく貢献しました。オリンピック開催に先立ち、NSA分析官は、2004年6月下旬にはアテネに派遣されました。開催期間中、NSAは、国土安全保障省、FBI、CIA、国家地理空間諜報庁NGA、国防諜報庁DIA、欧州軍、特殊作戦軍等と協働し、NSA職員はアテネや世界中で、24時間態勢でオリンピックに関係する脅威情報を収集し監視しました。
4 NSAによる通信データへのアクセス確保
さて、NSAが活動して、脅威情報を収集するには、必要とする通信データへのアクセスが必要です。NSAの2004年10月付の内部資料によれば、アテネ・オリンピックを巡って関連データ収集を強化するため、NSA内の各部署がそれぞれ活動しました。その一部が、次の諸活動です。
ところが、強化された通信傍受の実態の一部が、NSA研究者として名高いジェームス・バムフォード氏とギリシャ紙「カシメリニ」らによる調査報道から判明したのです。彼らの調査結果によれば、ギリシャ政府が調達したものの未使用であった通信傍受システムが、NSAによって利用されたそうです。
この背景には、諸外国の通信システムの多くには、現在、通信傍受システムが標準装備されているという事実があります。1994年に、米国が通信傍受支援法を制定し、通信事業者に対して、適法な通信傍受を支援する設備・機能の整備を義務付けました。これを契機に、通信機器メーカーは、適法な通信傍受ができるように、あらかじめ標準的な傍受システムを装備して販売しているのです。通信傍受用の標準システムを装備している通信機器メーカーは、エリクソン、ノキア、モトローラ、ジーメンス、華為技術、中興通訊など多数に及びます。
ギリシャのアテネでは、携帯電話網は「ボーダフォン・ギリシャ」が敷設していますが、その中央交換機器は、スウェーデンのエリクソン社の製品が装備されていました。エリクソン社は、2002年に中央交換機器のソフトウェアを更新しましたが、その際に、その「遠隔制御装置」の中に通信傍受プログラム「適法通信傍受」を装入したといいます。その使用法は、まず通信傍受の許可令状などが出ると、「傍受管理システム」に傍受対象電話番号を入力します。すると、これが自動的に「遠隔制御装置」に送られて傍受が始まり、傍受内容は自動的に法執行機関に送信されます。それと同時に、「傍受管理システム」には、全ての傍受記録が残されるというものです。
ところが当時、ギリシャは通信傍受法制が未整備であったため、エリクソン社の「適法通信傍受」プログラムや「傍受管理システム」が装備されていたにもかかわらず、運用されていなかったのです。また、「ボーダフォン・ギリシャ」も、システム起動に必要な暗号コードをエリクソン社から購入していませんでした。米国の元アテネ駐在外交官によれば、当時、ギリシャ政府は傍受の必要が生じると、特定の電話回線に傍受設備を設置して傍受するという、米国から見ると恐ろしく原始的な方法しか知らなかったといいます。まさに我が国の現状のようですね。
このような状況では、通信傍受の効率が悪く、テロ関係容疑者などを幅広く監視することは到底できません。そのため、米国は2003年以来、幅広く通信傍受を可能とするようギリシャ政府に対して働き掛けてきましたが、ギリシャ政府は政治問題化するのを嫌って、通信傍受法制の整備は行いませんでした。そこで結局、NSAはギリシャ政府の了解を得て、秘密裡に通信傍受をすることにしたのです。NSAは、エリクソン社の傍受システムを同社の了解を得ることなく利用して、オリンピックを巡る情報収集を行ったのです。
2004年アテネ・オリンピック、パラリンピックは無事閉幕し、NSAが使用した傍受用システムの運用も終了し、運用のためにNSAが設置した秘密のシステムも撤去されたはずでした。 なお、ギリシャの通信傍受法制については、結局、オリンピックの翌年の2005年3月に、通信傍受を大幅に認める大統領命令が公布されています。オリンピックの際の通信傍受で、その有効性が確認されたためでないかと考えられます。