涼井警部補の事件簿(第2回)
第2回 セルフレジの万引き事件
セルフレジの万引き事件
ここはある地方都市の中規模警察署。昼休みを少し過ぎた頃、地域課の山田孝弘課長が、若い女性地域警察官を連れて涼井のいる刑事課を訪ねてきた。涼井は立ち上がって山田を出迎える。
「山田さん、お疲れ様です。来ていただいてすみません。」
山田はもう50代半ばになるが、190cm近い身長があり、一目で「強い」と分かる筋肉質の体格をしている。涼井も180cm近い長身の男性だが、山田と並ぶと小柄に見えてしまうほどだ。「警察官は誰が見ても“強い”と思われなければならない。」が山田の信条で、若い頃は機動隊に所属していたこともある。階級は警部で、最近は現場に出ることが少なくなったことを残念がっている。
「いや、私からのお願いごとなのでね。挨拶しなさい。」
山田が顔を向けると、隣に立っていた女性警察官が挨拶をする。
「巡査長の荻野と申します。涼井さんにご相談したいことがあり、お伺いしました。」
荻野は20代半ば、制服にはチリ一つついておらず、整った見た目には真面目な性格が表れている。警察官には珍しく、150cm程度の小柄な女性である。山田と並ぶと親子のようにも見える。
「私で役に立てることであれば構いませんが、どうでしょう。私も地域課を離れて長くなりますし……。万引き犯の心理についての質問ということでしたね。」
涼井が2人を打ち合わせ用のソファーまで案内すると、荻野が少し緊張した面持ちで、テーブルに記録を広げる。
被疑者は、30代後半の主婦。日中はコンビニでアルバイトをしており、週3回パン屋で早朝にアルバイトもしている。小学生の子供が2人と幼稚園の子供が1人いて、夫はSEをしているサラリーマンということであった。
昨日、被疑者は、スーパーのセルフレジで、一部の商品だけを精算して、高額なサプリメントを未精算のままエコバッグに入れて立ち去ろうとしたところを店員に目撃された。店舗を出たところで警備員から声を掛けられ、そのまま警察に引き渡され、任意同行後に令状逮捕されている。自白をしており、万引きしたことは間違いないようである。問題は、被疑者が万引きを繰り返していることだ。
被疑者は、半年前に、スーパーの商品をバッグに入れて持ち出そうとしたところを逮捕され、執行猶予付きの判決を受けているところだった。現在は逮捕留置中であるが、明日には検察官が勾留請求をする予定とのことであった。
荻野は、涼井が記録をパラパラとめくる姿をじっと見つめながら、おずおずと話を始める。
「この被疑者ですが、実は、前回逮捕されたときに担当したのも私です。二度としないようにと話をしていて、ちゃんと分かってくれたと思っていたのですが……。最近はクレプトマニア(窃盗症)という言葉も聞きますし、なんとか更生させられないかと思いまして。課長に相談したら、涼井先生がクレプトマニアに詳しいと聞いたので、ご相談に来ました。たぶん、刑務所に行くことになるのでしょうが、子供もいますし、ちょっと可哀想な気もしまして。スーパーの人のことを考えたら警察官がそんなことを言ってはいけないのでしょうけど。」
荻野は、緊張しているようで早口になっている。涼井は、若い頃の自分を思い出して、軽く微笑む。
「私が地域課で万引き事犯を取り扱っていたのはもう10年近く前になりますが、当時はまだクレプトマニアという言葉も珍しかったですね。弁護人から、病気なので治療させたいと言われて色々と調べたことがありました。今でも多少新しい情報をフォローしてはいますが、万引き犯の心理というのは単純な問題ではないです。私の考えで参考になるのであればお話ししますね。」
荻野は、ホッとしたような、それでいて身構えるような表情でうなずいた。
涼井は、テーブルの上の記録に軽く手を置きながら言葉を続ける。
「さて、以前にも担当していた被疑者で、子供もいて、生活も大変そうで……『なんとかしてあげたい』と思うのは、人間としてはまっとうな反応です。ですが、その“思い”と、捜査としてやるべきことは、一度きれいに分けて考えましょう。万引き事件捜査の基本から順を追ってお話ししますね。」
荻野は背筋を伸ばし、真剣な顔つきになる。
「万引き事件として、立証しなければならないポイントはさほど多くありませんが、一つでも甘いところがあれば、弁護人からは確実に突かれます。今回でいえば、最低限、次のような点を立証する必要があります。」
荻野は持参したメモ帳に、涼井からのアドバイスを箇条書きで書き込んでいく。
❶ セルフレジにおける被疑者の挙動
❷ 精算した商品と未精算の商品との区別
❸ 商品の価格、点数、設置場所、包装形態
❹ バッグへの収納状況、隠匿の工夫の有無
❺ 前回事案との共通点・相違点
「『セルフレジの操作方法が分からなくて間違えただけだ』
『ちゃんとバーコードが読み取られたと思っていた』
という弁解は、弁護人であれば必ず検討します。だからこそ、例えば―
●精算済みの商品と、未精算の高額サプリメントをエコバッグに入れるときの挙動の差
●レジ画面の操作履歴(バーコード読み取りの有無、取消操作)
●店外に一歩出たところで止められるまでの経過
こういった細かいところを、防犯カメラ映像やレジデータ、店員の供述で固めておく必要があります。これは、『更生』とは別の話です。自白しているからといってこういった客観的な証拠固めをおろそかにしてはいけません。」
山田は、荻野の隣で腕を組みながら大きくうなずいた。

万引きの事実に関する被疑者の一連の行動を、客観証拠で固める。自白していても証拠固めをおろそかにしない。
「そして、万引き事件では取調べも重要です。」