◆連載エッセイ◆ 薬物捜査指揮官への道(第8回)
縁というもの
警察庁指定広域技能指導官(薬物事犯捜査)
これは「上方いろはかるた」の「そ」の読み札として知られることわざである。
上方とは、江戸時代に天皇(御上〔おかみ〕)がいらっしゃる方向である「上の方」に由来し、朝廷が置かれた京都や経済・商業の中心地であった大阪などを指す。
このことわざは、仏教の輪廻転生 ※1 の考え方に由来し、見知らぬ人と道ですれ違い、着物の袖がわずかに触れ合う程度の些細な出来事であっても、それは偶然ではなく前世からの深い宿縁によるものであるという意味だそうだ。
仏教では、人というものは過去から未来に至るまで、何度でも姿を変えて生と死を繰り返し、その果てしない輪廻の中で出会いと別れを繰り返してきた因縁があるからこそ、今生で偶然すれ違うことが起きるとされる。だからこそ、あらゆる出会いや人との関わりを大切にしなければならないという教えだ。
なお、このことわざで「多生」という漢字を使う場合は、前世から現世(今生)、さらには来世までという限りなく長い関係性、すなわち多くの生を経ることで結ばれる関係を意味し、一方で「他生」という漢字を使う場合は、現世とは異なる世界での生を通じた関係性、すなわち現世以外の前世及び来世において生を営むことで結ばれる関係を意味し、どちらも使われることがあるらしい。
私は、これまでの34年以上にも及ぶ警察人生を振り返ってみて、多くの事件に携わってきたのは事実だが、考えてみれば一度たりとも一人で捜査をしたことはない。事件を思い出すたびに、必ず誰かの顔が目に浮かんでくる。これは事件捜査だけではない。学校教養や研修、派遣や出向、捜査以外の業務やイベント、レクリエーションに至るまで、いつも誰かが隣にいた。すべてが出会いの連続だったのである。
警察人生において、夢や理想、目標などは、一人であっても抱くことができる。しかし、それに向かって実際に実行するとなると、間違いなく誰かの助けが必要となる。応援してくれる人、協力してくれる人、一緒に実行してくれる人、厳しい意見を言ってくれる人……。結局、自分の人生というものは、出会った人によって大きく左右されると言っても過言ではない。つまり、人生を豊かにしようと思えば、ご縁を大切にすること、それに尽きるのである。
私は、プロフィール欄にもあるとおり、兵庫県神戸市出身であるが、「関西人か?」と聞かれても「そうだ!」と言い切れる確たる自信はない。かと言って、東京に出てきて40年が経つが、東京人であるという自覚もない。ただ、関係機関も含めて、何故か関西系の仲間が多いのだ。これも「上方いろはかるた」が言うところの「縁」が呼び寄せたのかもしれない。そう言えば、この記事も当初から狙っていたわけではなかったが、いざ書き上げてみると、知らない間に「関西スペシャル」になっていた。もしかして、今回の記事は私の意思とは関係なく、「関西」という強力な磁場に誘導された自動書記 ※2 なのかもしれない(笑)。
これは、そんな「縁」というものを強く感じた事件である。
令和2年のある日、私のデスクである警視庁組織犯罪対策第五課の薬物密輸担当管理官の机上に置かれた警察電話が鳴った。
ナンバーディスプレイには
兵庫 組織犯罪対策課調査官
と表示されている。
K氏とは古い戦友である。
平成20年、警察大学校警部任用科で教場違いの同期生であった我々は、同じ刑事課程で行われた薬物捜査ゼミで初めて出会った。ゼミ生たちは、その後、それぞれの警察において薬物捜査指揮官として大活躍されることになる人物ばかりであったが、その頃は誰もがまだ若く、ゼミ自体も我が強くて自信家の集まりのようなグループで、想定問題が出されると、我こそはとばかりに手を挙げて持論を展開するというのが常だった(笑)。
K氏と一緒に勤務をしたのは平成21年、初めて警察庁薬物銃器対策課へ出向した年で、我々は同じ日に着任し、私は薬物捜査係、K氏は銃器捜査係の係長としてそれぞれ任命された。
しかし、偶然はそれで終わらなかった。通常、警察庁への2回の出向を経験する者はそれほど多くはないが、平成28年、私にとって2回目となる警察庁薬物銃器対策課への出向の年に、K氏とまさかの再会を果たしたのである。私は薬物捜査係の課長補佐、K氏は銃器捜査係の課長補佐としてそれぞれ任命され、我々は再び共闘することとなった。
本連載でも度々お話ししてきたとおり、警察庁時代の私は薬物捜査担当として、大型密輸事件や海外捜査機関との合同オペレーション等で多忙を極めていたが、その一方で、拳銃捜査の部門もまた激動の時代を迎えていた。特に暴力団情勢は、北九州を拠点とする工藤會の凶悪性が顕著に表れ、平成24年に改正暴力団対策法に基づき特定危険指定暴力団に指定されたほか、平成27年には日本最大の暴力団組織である六代目山口組が分裂、その後、神戸山口組と任侠団体山口組(現絆會)との三つ巴の対立抗争が激化し、拳銃発砲事件や車両突入事件が住宅地で発生するなど市民生活に対して大きな脅威となり、暴力団対策はまさに警察活動における喫緊の課題であった。そんな情勢下にあって、K氏の拳銃捜査に懸ける思いは誰よりも熱かったのである。
我々はお互いに多忙を極めながらも、多くの事件で連携していたことから、高校野球界に誕生した往年の大阪の名コンビになぞらえて、「KKコンビ」と(勝手に)呼んでいた。ちなみに、本物のKKコンビは高校を卒業して別々のプロ野球チームに進んだが、12年という歳月を経た後、奇しくも同じ在京球団のチームメイトとしてコンビを復活させている。本家に倣うかのごとく、我々もまた、警察庁において2度目のコンビを組んだのであった(笑)。
私のデスクで鳴り響いたのは、そんな激動の時代に苦楽をともにしたK氏からの電話だった。しかも、意外なことに、その内容は「助けてほしい」というものだったのである。
その頃、兵庫県警組織犯罪対策課は、そばめしやぼっかけ ※3 といった神戸っ子のソウルフードの発祥地として有名な神戸市長田区を管轄する長田警察署に捜査本部(帳場)を設置し、別件の偽造在留カード事件を端緒として、ベトナム人による違法薬物の密売事件を捜査していた。多数の密売客を検挙して、神戸を拠点とする元締め密売人の逮捕にまで漕ぎ着け、麻薬特例法第5条(業として行う不法譲渡)違反での起訴を獲得する。そこまでの捜査はさすがである。
さらに、薬物の入手先に対する突き上げ捜査を推し進め、東京を拠点とするベトナム人密売グループを浮上させるまでに至り、多数の捜査員を東京に派遣して内偵捜査に当たっていた。その場所が「新宿区大久保・百人町」だった。
新宿区にある大久保・百人町地区。そこは、署員数約700名、一日の110番通報件数は平均約160件(1年間で約6万件)、遺失物・拾得物取扱件数でも日本一を誇る新宿警察署の管内にあり、日本最大の歓楽街である歌舞伎町とは職安通りを挟んで隣接している。歌舞伎町は、キャバクラやホストクラブ、ラブホテルや風俗店などが密集する「眠らない街」であるが、大久保・百人町はコリアンタウンのほか、アジア各国の飲食店や雑貨屋が建ち並び、外国人居住者も多い「多文化共生エリア」という特色がある。実際に周辺を歩くと「ここは日本なのか?」と思うくらい、アジアの異国情緒溢れる地域だ。さらに、夜になれば一目でカタギでないと分かる者や不良外国人が集まってくる場所となっていて、昔ほどではないにせよ、暴力団関係者の姿もちらほら見られる。こういった者たちは、「自分が警察に捜査されているのではないか?」といつも不安を抱き、常に周囲を警戒している上に、この地域に捜査で入って少しでも「警察臭」を出したり、長時間立ち止まったりすれば、すぐに何処からともなく輩が現れて、逆バン ※4 を掛けられるという土地柄でもあった。また、兵庫県から派遣された捜査員たちにとっては、距離が遠く足場も悪い。このエリアで捜査に従事するK氏率いるチームの苦労は、容易に想像ができた。